主人公の如懿のモデルは、乾隆帝の2人目の皇后となった継皇后(輝発那拉氏)。立后や1765年の断髪事件といった大筋は史実に沿うが、乾隆帝との幼なじみの恋や後宮の陰謀の多くは原作小説による創作。なぜ髪を切ったのかは史料に残っておらず、ドラマの描く動機はひとつの解釈である。
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康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代は「康雍乾盛世」と呼ばれる清の最盛期。ドラマは雍正帝の晩年、皇子だった弘暦(後の乾隆帝)の妃選びから始まり、乾隆帝の治世前半の後宮を舞台にする。同じ時代・同じ后妃たちを描いた『瓔珞〈エイラク〉』とは、善玉と悪役の立場がほぼ逆になっているのも見どころ。
| ドラマでの役 | 実在モデル | 区分 | 史実での人物像 | ドラマとの違い |
|---|---|---|---|---|
| 如懿(青桜) | 継皇后(輝発那拉氏/ウラナラ氏) | 実在 | 1718〜1766年。皇子時代の弘暦の側福晋となり、乾隆帝の即位後に嫻妃・嫻貴妃、富察皇后の死後に皇貴妃を経て1750年に皇后となった。1765年の南巡中に自ら髪を切って北京へ送り返され、翌年に死去。皇后としての葬礼は行われなかった。 | 「如懿」「青桜」という名や、弘暦との幼なじみの恋は原作小説の創作。実際の名は伝わっていない。 |
| 乾隆帝(弘暦) | 乾隆帝(弘暦) | 実在 | 清の第6代皇帝(1711〜1799年)。1735年に即位し、約60年在位した後も太上皇として実権を握った。 | 主人公との恋愛と、その愛情が冷めていく過程が物語の中心。政治や遠征の場面は少ない。 |
| 富察琅嬅(富察皇后) | 孝賢純皇后(富察氏) | 実在 | 乾隆帝の最初の皇后で、1748年に死去。二人の皇子を幼くして失い、東巡の帰途に病没したとされる。 | 主人公と対立する場面が多く描かれるが、史料から二人の関係はほとんどわからない。 |
| 魏嬿婉 | 孝儀純皇后(魏佳氏) | 実在 | 令妃・令貴妃を経て、継皇后の失脚後に皇貴妃となった。1775年に死去。息子が後の嘉慶帝となり、1795年に皇后の位を追贈された。 | 野心的な悪役として描かれるが、史料にそれを裏付ける記録はない。『瓔珞〈エイラク〉』では同じ人物が主人公になっている。 |
| 海蘭 | 愉妃(珂里葉特氏) | 実在 | 乾隆帝の妃で、皇子永琪の生母。 | 主人公の無二の親友として描かれるが、二人の関係を示す史料はない。 |
| 凌雲徹 | — | 架空 | 該当する実在の人物はいない。 | 主人公を陰で支える侍衛は、ドラマ(原作小説)オリジナルの人物。 |
区分:実在=史料に記録のある人物/合成=複数の人物をもとにした人物/架空=ドラマオリジナルの人物
ドラマでは弘暦が幼なじみの主人公を自ら妃に選ぶところから物語が始まるが、二人の出会いや恋愛を記した史料はない。継皇后が皇子時代の弘暦に嫁いだこと自体は史実とされる。
1765年の南巡中に継皇后が髪を切ったことは史実だが、その理由は公式の記録に書かれていない。満洲の習俗では髪を切るのは喪のときに限られ、皇帝や皇太后が健在なのに髪を切るのは大きなタブーだったとされる。ドラマの描く動機は原作による解釈である。
ドラマでは主人公を陥れる悪役だが、モデルの魏佳氏が陰謀を巡らせたという史料はない。性格を伝える記録自体がほとんどなく、同じ時代を描いた『瓔珞〈エイラク〉』では正反対の人物像になっている。
清の后妃は姓(氏族名)と位でしか記録されないことが多く、継皇后の実名も伝わっていない。「如懿」は乾隆帝が与えた名という設定で、ドラマ(原作小説)の創作である。
北京へ送り返された継皇后は、皇后の冊宝(任命の証)を取り上げられ、1766年に死去した。葬礼は皇貴妃より低い格式で行われ、諡号も与えられず、乾隆帝の陵墓ではなく妃の墓所に葬られた。乾隆帝はその後二度と皇后を立てず、皇貴妃となった魏佳氏が後宮を取りまとめた。魏佳氏の産んだ永琰が1796年に即位して嘉慶帝となる。
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